土産 (みあげ)
とは、
『外出先から帰る際や、外出先に持っていく品物』
語源
“土産” は元々、(どさん/とさん) と読み、「土地の産物」という意味であった。
“みやげ” と読む由来は諸説あるが、人にあげるものを選ぶ際に見上げることからといわれている。
土産 (みあげ)
とは、
『外出先から帰る際や、外出先に持っていく品物』
“土産” は元々、(どさん/とさん) と読み、「土地の産物」という意味であった。
“みやげ” と読む由来は諸説あるが、人にあげるものを選ぶ際に見上げることからといわれている。
重陽 (ちょうよう)
栗の節句 (くりのせっく)
とは、
『9月の節句』
9月9日
旧暦を使用していた頃は五節句を締めくくる最後の行事として盛んに行われていた。
改暦以降は新暦で行事を行うようになり、菊の開花や栗の収穫よりも、節句の時期が早すぎるようになった。
そのため菊の節句は廃れていき、祝う地域が少なくなっていった。
・菊酒を飲む
菊を鑑賞しながら菊酒を飲むと長寿になると言われていることから。
・栗ご飯を食べる
作物の収穫時期と重なるため、庶民の間では「栗の節句」として栗ごはんを食べて祝っていたことから。
【菊の節句】
旧暦では菊が咲く季節であることから。
【栗の節句】
旧暦では栗の収穫の季節であることから。
【重陽】
陰陽思想では奇数は陽の数で、陽数の極である9が重なる日であることから”重陽“と呼ばれる。
星祭 (ほしまつり)
笹の節句 (ささのせっく)
とは、
『7月の節句』
7月7日
七夕は、織姫と彦星が天の川を渡って、1年に1度だけ会える7月7日の夜のこと。
この話を “七夕伝説“と呼び、七夕伝説は古代中国の詩集に記載されたのが初出とされている。
【七夕伝説の内容】
機織りが上手な織姫と働き者の彦星は、織姫の父のすすめで結婚した。
しかし結婚後、二人は遊んでばかりで働かなくなったため、怒った織姫の父は、二人を天の川の両岸に別れさせた。
離れ離れになった二人は、今度は悲しむばかりで働かなかったため、織姫の父は仕事に励むことを条件に、7月7日だけ二人の再会を許した。
こうして二人はまた一生懸命に働くようになった。
奈良時代に、中国から日本に入ってきた風習。
笹竹には天の神様がよりつくと考えられているため、願い事を書いた短冊を天の神様に届くよう空に向かって立てるようになった。
行事に笹を用いることから。
昔、7月7日の夜に祖先の霊を祀るため機織りをし、織り上がった布を捧げる行事があり、その織り機の名前が「棚機」(たなばた) であったことから。
端午 (たんご)
端午の節句 (たんごのせっく)
とは、
『5月の節句』
5月5日
日本では、男子の健やかな成長を願い、各種の行事を行う風習があり、5月5日は祝日「こどもの日」になっている。
・鯉のぼりを飾る
中国の故事、”登竜門”が起源。
「人生の難関を鯉のように突破して出世してほしい」という願いが込められている。
江戸時代の中期頃に誕生した日本だけの風習。
・五月人形や兜を飾る
子どもの健やかでたくましい成長を願い、五月人形や兜を飾る
・ちまきを食べる
中国の故事が由来で、厄払いの力があるとされる。
・柏餅を食べる
柏餅を食べる風習は、江戸時代に日本で生まれた。
柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、「子孫繁栄」の縁起担ぎとされた。
・菖蒲湯に入る
菖蒲の強い香りが邪気を祓うとされている。
【端午の節句】
旧暦ではは5月は午の月に当たり、「端」は「最初」という意味から、5月の最初の午の日を節句として祝っていた。
後に、「午」と「五」が同じ発音の”ウ-”であったことから、5が重なる5月5日が「端午の節句」になった。
【菖蒲の節句】
古代中国では、雨季の5月は病気や災厄が増えるため、強い香りが邪気を祓うとされていた菖蒲を使用した行事が行われていたことから。
人日 (じんじつ)
とは、
『1月の節句』
1月7日
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を犬の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日、7日目を人の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていたことから。
また、正月の飲食で弱った胃を休めるため、七草を入れたスープを食する習慣があり、これが日本に伝わり、七草がゆとなった。