日本語
畏怖の念 (いふのねん)
畏怖の念 読み:イフノネン
とは、
『恐れ敬う気持ち』
概要
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「畏怖の念」とは、相手や存在に対して「おそれ」と「敬い」の気持ちが入り混じった感情を表す言葉。
単なる恐怖ではなく、力や偉大さ、神聖さを前にして感じる深い尊敬の気持ちを含む。
自然、神仏、偉人、あるいは人智を超えた存在などに対して抱くことが多い。日常的な文脈よりも、やや格式ばった表現として文学や宗教的な文章に用いられる。
例文
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・人々は噴火する山を前に、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
・古代の人々は、自然の力に対して深い畏怖の念を持っていた。
語源
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畏怖「恐れ敬うこと」念「心に思う、感じる」という意味から。
つまり「畏怖の念」は「おそれ敬う気持ちを心に強く抱くこと」を表す熟語。文学的・宗教的文脈で使われる漢語的表現。
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畏怖 (いふ)
糾合 (きゅうごう)
糾合 読み:キュウゴウ
とは、
『ある目標や目的のために人々を集め、一つにまとめること』
概要
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糾合は、ばらばらになっている人々や組織、勢力を呼び集めて結束させ、一つのまとまりにする行為を指す語。
政治運動や社会運動、軍事的な動員、企業や団体内での人員結集など、集団を形成・統率する文脈で使われることが多い。
呼びかけによる自発的な結集を含む一方で、指導者が組織的に動員する意味合いで用いられることもある。
例文
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・各地の同志を糾合して運動を広げる。
・反対勢力を糾合することに成功した。
語源
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糾「より合わせる」合「ひとつにまとめる」から。
つまり「より合わせて一つにする」という意味で成立した漢語。
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中道 (ちゅうどう)
中道 読み:チュウドウ
とは、
『過度に偏らず、ちょうどよい立場・考え方のこと』
仏教
『極端を避ける正しい道のこと』
政治
『左派と右派のどちらにも偏らず、極端な思想を避けて現実的な調和を図る立場』
概要
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中道とは、思想や立場が一方に極端に偏ることを避け、状況に応じた現実的なバランスを重視する考え方を指す語である。
日常的には価値観や政治的立場を説明する際に用いられ、左右両極の主張の中間に立つ姿勢を意味する。
また、仏教においては、苦行と放逸のいずれにも偏らない修行の道を示す根本概念として位置づけられている。
例文
語源
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中「まんなか」道「みち」で、「偏りのないまんなかの道」。
つまり「極端を避けた正しい道」という意味で、政治・思想・宗教など幅広く使用される語。