ことわざ・名言

火中の栗を拾う (かちゅうのくりをひろう)

火中の栗を拾う 読み:カチュウノクリヲヒロウ
とは、

概要

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火中の栗を拾う」とは、本来は自分の利益にならないのに、他人のために危険な役目や面倒な仕事を引き受けることを意味する。

多くの場合、誰かに利用されてリスクを押しつけられる状況や、損な役回りをすることを批判的に表す場面で使われる。

語源

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この言葉は、フランスの寓話作家ラ・フォンテーヌによる『猿と猫(Le Singe et le Chat/ル・サンジュ・エ・ル・シャ)』という寓話に由来する。
物語の中で、サルのベルトランがネコのルノーをだまし、暖炉の中から焼き栗を取らせた。ネコは火傷をしながら栗を取り出したが、それを食べたのはサルだった。この話から、「他人に危険な役を押しつけ、自分だけが得をする」という意味が転じて、「火中の栗を拾う=他人の利益のために自ら危険を冒す」ことを表すようになった。

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真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である (しんにおそれるべきはゆうのうなてきではなくむのうなみかたである)

真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である
読み:シンニオソレルベキハユウノウナテキデハナクムノウナミカタデアル
とは、

概要

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真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」とは、敵対する相手が優れていることよりも、味方でありながら判断力や行動力が乏しい者の存在のほうが、状況を悪化させる可能性が高く、より危険であるという考え方を表した言葉。

組織やチームにおいて、能力が低い味方が誤った行動をとると、意図せずに内部崩壊や失敗を引き起こすことがあるため、その存在こそが真の脅威となるという教訓になっている。

語源

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特定の人物による明確な出典は存在せず、広く知られた伝承的な格言とされている。
ナポレオン・ボナパルトの言葉として紹介されることもあるが、確かな証拠は確認されていない。
類似の思想は、古代インドの寓話『パンチャタントラ』や仏教の『ジャータカ物語』などにも見られる。

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格言

下手の考え休むに似たり (へたのかんがえやすむににたり)

下手の考え休むに似たり 読み:ヘタノカンガエヤスムニニタリ
とは、

概要

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下手の考え休むに似たり」とは、考える力が乏しい者がいくら考えても、その内容が的外れだったり非効率だったりして、まるで何もしていないのと同じだ、という意味。

主に人の行動や思考に対して、非効率さや無意味さを揶揄するときに使われる。

皮肉や諦めを込めた表現として用いられることが多い。

語源

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「下手な者がいくら考えても、休んでいるのと変わらない」というたとえから成り立っている。

同義語

馬鹿の考え休むに似たり/バカの考え休むに似たり (ばかのかんがえやすむににたり)

阿呆の考え休むに似たり (あほうのかんがえやすむににたり)

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喉元過ぎれば熱さを忘れる (のどもとすぎればあつさをわすれる)

喉元過ぎれば熱さを忘れる 読み:ノドモトスギレバアツサヲワスレル
とは、

概要

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喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、苦痛や困難な出来事があったとしても、それが過ぎ去ってしまうと、そのときのつらさを忘れてしまう人間の性質を表すことわざ。

特に、苦しい思いをしたにもかかわらず、同じ過ちを繰り返したり、他人の苦しみを理解できなくなることを批判的に言う場合に使われる。

日常会話では、自分や他人の忘れっぽさや教訓を生かせないことを指摘する場面でも使われる。

語源

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熱いものを飲み込むとき、喉元を通る間は熱さを感じるが、それを過ぎてしまえば熱さを忘れることに由来するたとえ。

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画竜点睛を欠く (がりょうてんせいをかく)

画竜点睛を欠く 読み:ガリョウテンセイヲカク
とは、

概要

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画竜点睛を欠く」という表現は、何かをほぼ完璧に仕上げたが、最後の決定的な部分が欠けていることで、全体が完成していないことを意味する。

語源

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中国の六朝時代、梁(りょう)の絵の名人・張僧繇(ちょうそうよう)が竜の絵を描き、「睛を入れればたちまち竜が飛び去る」と言い、目を描かなかった。人々はその話を信じず無理に目を描かせたところ、目を入れた竜がたちまち天に昇ったという故事に由来する。

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