名言・ことわざ
猫も杓子も (ねこもしゃくしも)
猫も杓子も 読み:ネコモシャクシモ
とは、
『誰もかれも』
概要
詳細≫
「猫も杓子も」は、区別なくすべての人や物を一括して表す言い回し。
主に、「~までもが」「~でさえも」といった含みを持ち、「身分や立場、知識の有無に関係なく皆が〜している」という場面で使われる。
現代ではやや皮肉や揶揄のニュアンスを含むことが多く、熱狂や流行の広まりを少し距離を置いて眺めるような表現になることが多い。
例文
詳細≫
・猫も杓子もアイドルを目指しているような時代になった。
・新しいゲームが発売されて、猫も杓子もそれに夢中になっている。
語源
詳細≫
「猫」はどこにでもいる身近な動物、「杓子」は日用品の象徴で、両者ともに取るに足らない存在を意味するものとして並べられた。
「猫も杓子も」という言い回しは江戸時代にはすでに使われており、「取るに足らぬものまで含めて、誰も彼も」といった意味で定着した。
なお、「杓子」は仏具の「釈氏(しゃくし=釈迦の弟子)」を当てたという説もあるが、語呂合わせ的な後付けとされることが多い。
関連記事
火中の栗を拾う (かちゅうのくりをひろう)
火中の栗を拾う 読み:カチュウノクリヲヒロウ
とは、
『他人のために危険を冒すこと』
概要
詳細≫
「火中の栗を拾う」とは、本来は自分の利益にならないのに、他人のために危険な役目や面倒な仕事を引き受けることを意味する。
多くの場合、誰かに利用されてリスクを押しつけられる状況や、損な役回りをすることを批判的に表す場面で使われる。
語源
詳細≫
この言葉は、フランスの寓話作家ラ・フォンテーヌによる『猿と猫(Le Singe et le Chat/ル・サンジュ・エ・ル・シャ)』という寓話に由来する。
物語の中で、サルのベルトランがネコのルノーをだまし、暖炉の中から焼き栗を取らせた。ネコは火傷をしながら栗を取り出したが、それを食べたのはサルだった。この話から、「他人に危険な役を押しつけ、自分だけが得をする」という意味が転じて、「火中の栗を拾う=他人の利益のために自ら危険を冒す」ことを表すようになった。
関連記事
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である (しんにおそれるべきはゆうのうなてきではなくむのうなみかたである)
真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である
読み:シンニオソレルベキハユウノウナテキデハナクムノウナミカタデアル
とは、
『能力のない味方のほうが、敵よりも害になることがあるという格言』
概要
詳細≫
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」とは、敵対する相手が優れていることよりも、味方でありながら判断力や行動力が乏しい者の存在のほうが、状況を悪化させる可能性が高く、より危険であるという考え方を表した言葉。
組織やチームにおいて、能力が低い味方が誤った行動をとると、意図せずに内部崩壊や失敗を引き起こすことがあるため、その存在こそが真の脅威となるという教訓になっている。
語源
詳細≫
特定の人物による明確な出典は存在せず、広く知られた伝承的な格言とされている。
ナポレオン・ボナパルトの言葉として紹介されることもあるが、確かな証拠は確認されていない。
類似の思想は、古代インドの寓話『パンチャタントラ』や仏教の『ジャータカ物語』などにも見られる。
関連記事
下手の考え休むに似たり (へたのかんがえやすむににたり)
下手の考え休むに似たり 読み:ヘタノカンガエヤスムニニタリ
とは、
『考えても意味がない様子、無駄な思案』
概要
詳細≫
「下手の考え休むに似たり」とは、考える力が乏しい者がいくら考えても、その内容が的外れだったり非効率だったりして、まるで何もしていないのと同じだ、という意味。
主に人の行動や思考に対して、非効率さや無意味さを揶揄するときに使われる。
皮肉や諦めを込めた表現として用いられることが多い。
語源
詳細≫
「下手な者がいくら考えても、休んでいるのと変わらない」というたとえから成り立っている。
同義語
馬鹿の考え休むに似たり/バカの考え休むに似たり (ばかのかんがえやすむににたり)