あくまで/飽く迄 読み:アクマデ
とは、
『どこまでも、徹底的に』
『最後まで貫くさま』
概要
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あくまでとは、途中で変えずに最後まで貫くことや、徹底的に行うことを表す言葉。
「あくまで個人の意見だ」のように、限定や強調の意味でも使われる。
また、「あくまで冷静に対処する」のように、態度や考え方を貫く場面でも用いられる。
語言
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漢字では「飽くまで」と書き、飽く「満ち足りる」の未然形に助詞「まで」がついた形。「限界まで」「とことんまで」の意味を持つ。
あくまで/飽く迄 読み:アクマデ
とは、
『どこまでも、徹底的に』
『最後まで貫くさま』
あくまでとは、途中で変えずに最後まで貫くことや、徹底的に行うことを表す言葉。
「あくまで個人の意見だ」のように、限定や強調の意味でも使われる。
また、「あくまで冷静に対処する」のように、態度や考え方を貫く場面でも用いられる。
漢字では「飽くまで」と書き、飽く「満ち足りる」の未然形に助詞「まで」がついた形。「限界まで」「とことんまで」の意味を持つ。
随時 (ズイジ)
とは、
『その時々で』
随「したがう」時「とき」で、「時にしたがうこと」という意味から。
適宜 (テキギ)
とは、
『状況に応じてふさわしい行動を取るさま』
適「ふさわしい」宜「都合がいい」という意味から。
他愛無い (たあいない)
とは、
『重要でない、ささいな』
『正体がない、手ごたえや張り合いがない』
たわい「てごたえ」で、「手応えがない」という意味から。
“他愛” と書くのは当て字
他愛 (たあい)
とは、
『てごたえ』
昔、体のことを「たあい、たわい」と言ったことから。
“たわいない“という形で使われ、「体がないような」で、「てごたえがない」という意味で使われるようになった。
“他愛” と書くのは当て字