Joshua Abraham Norton 読み:ジョシュア・エイブラハム・ノートン
とは、
【分類】実業家・歴史的人物
『自らを「アメリカ合衆国皇帝」と名乗り、サンフランシスコで愛された伝説的人物』
概要
ジョシュア・ノートンは、19世紀のアメリカで知られた実業家・歴史的人物である。事業で財を築いたのち破産を経験し、その後、自らを「ノートン1世、アメリカ合衆国皇帝」と名乗ったことで有名になった。
もともとは実業家として成功し、サンフランシスコで一定の資産を築いていた。しかし、米の投機取引に失敗して財産の大半を失い、経済的に破綻したことが人生の大きな転機となった。
1859年、地元新聞に声明を送り、自らを「アメリカ合衆国皇帝」と宣言した。さらに後には「メキシコの保護者」を名乗るようにもなった。法的な権力や政治的実権は一切持っていなかったが、独特の存在感によってサンフランシスコ市民から広く親しまれた。
ノートンは独自の勅令を新聞を通じて発表し、議会の解散、社会改革、宗教間融和など、多様な提案を行った。その内容は奇抜なものから先見性を持つものまで幅広く、時に風刺的でありながら、社会への鋭い視点を含んでいた。
特に、サンフランシスコとオークランドを結ぶ橋や海底交通網の必要性を早くから提唱したことで知られる。これは後にサンフランシスコ=オークランド・ベイブリッジの建設によって、先見的な提案だったと評価されるようになった。
また、反中国感情が高まっていた時代には、中国系移民に対する暴動が起きかけた際、ノートンが群衆と移民の間に立ち、静かに祈りを捧げ続けたことで場が鎮まったと伝えられている。この逸話は、彼が単なる風変わりな人物ではなく、平和と寛容の象徴としても市民に敬愛されていたことを示している。
市民の多くは彼を危険人物ではなく、街の象徴的存在として受け入れていた。店や飲食店では特別扱いされることもあり、彼が発行した「ノートン・ドル」と呼ばれる独自の紙幣は、一部の商店や飲食店で実際に支払い手段として受け入れられていた。彼を歓迎した店舗は「皇帝御用達」として知られ、市民の間でも親しまれていた。
代表的業績
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・「ノートン1世」を名乗り皇帝を自称
・新聞を通じた独自の勅令発表
・ベイブリッジ構想を早期提唱
・サンフランシスコの伝説的人物として定着